教育コラム

「仙台経済界」掲載コラム

第22回 感動したことや嬉しかったことに共感するということ

「先日、我が子に自転車を購入しました。長い間欲しかったもので思いいれも大きかったので、その喜びようといったら大変なものでした。購入した自転車に直接「チュッ」としたかと思うと、車に積んだ後もそちらの方へ向かって何度も投げキッス。妻と共に「本当にうれしいんだねえ。私達が車を買った時みたいな感じかなあ。」とその様子を見ていました。その後、娘は様々な人(先生や近所の人など)にその喜びを伝えるわけですが、案外あっさりと「そう。」といわれて済まされてしまうものです。この喜びの大きさの度合いというものはそばにいた親ではないとなかなか共感してあげられません。

当社の家庭教師とそんな話をしているとこんな言葉が返ってきました。「そういえば、最近の生徒さん達は、感動したことがないとか最近思いっきり笑ったことがないっていうんです。」と。普段案外にこやかにしている生徒さんの言葉だそうです。何をやっても楽しくはないということでしょうか?本当は、うれしかったり感動していることがあってもそんな自分に気付いていないのかもしれません。そのような生徒さん達に、勉強だけにやる気を出せといっても難しいように思います。そういった喜びや感動といった感情は知的好奇心とつながっているからです。仙台の人は他県の人に比べて感情を表に出さないと言われています。ましてや年齢が経つにつれ無邪気に喜びを表現するということがなくなるからこそ、周囲の大人たちが気付いてあげないといけないのかもしれません。自分が感動していることさえわからなくならないように。

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