教育コラム

「仙台経済界」掲載コラム

第13回 ミィのこと・ある中学受験生

小学生の生徒さんで、まだ十年ほどの人生ですが、思うようにいかないことが多い女の子がいたそうです。理由もなく学校の先生からきつい言葉を吐かれ、友達関係もうまくいかなくなり、学校も休みがち。当社に相談していただき、授業を続けていました。彼女にはお姉さんがいました。名前はミィ。彼女が生まれる前から家にいる猫でした。ずっと一緒にいました。
そんな中、中学受験をしたいという希望が出てきました。ご家族で話した結果のようでした。そこで受験勉強中心に指導内容を切り替えました。教師が一番意識したことは「最大限努力し、それでも万一不合格だった場合に『すべてを失った』と思わせないこと」。そして勉強開始。その後のその子の勉強に対する「必死さ」は感動させるものがありました。
そのやる気の言動力になったものは複数あったと思いますが、「その中学に進みたい」という気持ちが一番手ではなかったと思います。「ミィがいつも見てるんだ」と彼女はよく言っていました。指導場所に入ってくることがなかったので会う機会がなかったのですが、「お姉さん」のミィがそばにいることはわかりました。「だから毎日がんばれる」。
勉強は量をこなすことで質的変化が訪れ、定着することが多いものです。最近話題の齋藤孝さんは「自転車に乗るのと同じ」という上手い例えをなさっていました。「乗れたらずっと乗れる。」彼女も何度も「こけながら」実力をつけていきました。
一月末に試験、結果は合格。ここ数年にない清清しい声から、教師はその報告を受けたそうです。人生の新しい第一歩でした。
その後の会話です。教師がお母さんに「ミィも喜んでいますね。」と言うと、「…ミィはもうかなり前に亡くなって…」まるで生きているかのように話されていたそのお姉さんはもうかなり前に亡くなっていました。 読者の皆さんは、この話をどう思われますか?

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